宮前(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ手間村,昭和30年からは会見町の大字。明治24年の戸数54・人口322,水車1(徴発物件一覧)。市制町村制施行・小学校令改正などにより同23年宮前尋常小学校は再び分離し,当地は天万校下となる。昭和40年,手間・賀野第一両小学校を統合して会見小学校と改称。地内字向山に鉄筋新校舎を建設し,同41年9月1日竣工開校式を挙行した。宮前地内は,県道に沿って南北に細長く,南の方は1区,北の方に2区があって昭和35年2区は議を決し,同37年天照皇大神と大国主命を祭神として天国神社を創立,鎮座祭を執行して鎮守とした。同35年の農業戸数・1戸当たり平均経営耕地面積は1区37戸・6.5反,2区73戸・4.3反。県営圃場整備事業は,同44~45年度に小松谷川右岸地内11.6haを実施し,改善整備された。しかし地内は耕地が少なく,2区においては天万地内に耕作地を得て進出しているものの,減反政策以来第2・3次産業従事者が増加している。世帯数・人口は,昭和30年129・750,同45年120・602。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7410037 |





