山田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ三朝村,昭和28年からは三朝町の大字。明治24年の戸数37・人口191,水車1(徴発物件一覧)。昭和38年に国鉄山陰本線上井駅(現倉吉駅)と三朝間の舗装が完成し,三徳川にかかる三朝大橋(昭和9年竣工)を挾んで三朝地区と温泉街を形成している。大正3年温泉成分分析の結果,ラジウム含有量が多いことが発見されてから次第に温泉客も増え,地域外からの旅館進出も見られるようになった。地内には大正7年村営ラジウム温泉療養所,昭和14年には厚生省傷痍軍人三朝温泉療養所が建設され,それぞれ現在の岡山大学三朝温泉研究所および国立三朝温泉病院の基礎となり温泉医療研究の中心地となっている。世帯数・人口は昭和30年122・675,同40年206・853,同50年275・1,003と町内の人口増加地区を形成している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7410215 |





