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山根(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ中田村,明治36年土師村,昭和10年からは智頭町の大字。明治24年の戸数29・人口150(徴発物件一覧)。電灯は大正10年以来点灯賛成派と反対派に分かれて争議があり話合も難航したが,同13年点灯の運びとなった。大正12年の戸数42。産業としては養蚕・桑葉・繭・薪など。鉄道は昭和7年国鉄因美線(鳥取~津山間)が開通。大正7年・昭和9年・同20年・同34年と数度にわたって台風に襲われ,中でも昭和34年の伊勢湾台風では家屋の流失,堤防の決壊,田畑に土砂流入など大きな被害を受けた。昭和46年国道53号が全面開通。従来より稲作を中心とするが,近年は専業農家は1軒のみでほかは兼業農家である。昭和46年頃からの米の減反以後は大豆・野菜・トウモロコシ・イチゴなどと花木類(リンドウ・チューリップ・ドウダンツツジ)を栽培。林業は第2次大戦前までは雑木が中心で薪などを産するのみであったが,戦後は農業構造の変化が林業にも影響を及ぼし従来の堆肥地・採草地の跡地にスギ・ヒノキなどを植林するなどして植林面積が増大している。バスは昭和5年に運行が認可された。世帯数・人口は昭和30年40・202,同40年39・175,同50年38・158。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7410227