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大谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。意宇【いう】郡のうち。江戸期は松江藩領。検地は寛文11年。村高は「大数録」に660石,「天保郷帳」は654石。産業は農業が主。谷間の川に沿って大原郡遠所【えんじよ】村に至る和名佐【わなさ】越えが,玉造【たまつくり】村より当村を通って上来海【かみきまち】村に入る(意宇郡誌)。天忍穂耳【あめのおしほみみ】ほかを祭神とする日速【ひはや】神社の祭日は10月13日,天照大神ほかを祭神とする一人女【ひとりひめ】神社の祭日は10月25日である。寺院は曹洞宗洞光寺末の金王山了知寺がある。明治4年島根県に所属。大谷小学校は同6年に了知寺において開校され,同14年に戸谷正兵衛氏宅に,同21年には新築され字高橋に移転した。のちの首相若槻礼次郎は同14年より同17年に上京するまで当校の小学補助員であった。同22年に意宇郡玉造村の大字となる。同年の戸数148・人口694。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7411108