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大原郡


堀尾氏・京極氏の短期間の支配を経て寛永15年からは松平氏の支配地。村数・石高は寛永14年の「国令後篇補遺」では58か村3万314石余(松江市誌),寛文4年の寛文印知では58か村2万5,871石余(続々群書類従),宝暦年間の「大数録」では66か村2万3,710石余。「大数録」には織部・大木原・稲村・大東本郷・飛石・湯村・塩田・箱淵・田中・新庄・山王寺・諏訪・引坂・薦沢【こもざわ】・笹谷・清田【せいだ】・成木・金坂・南村・北村・中屋・苅畑・小川内・上久野・下久野・川井・岡村・東阿用・下阿用・山方・里方・木次・西日登・東日登・寺領・宇谷・西阿用・大ケ谷・上佐世・下佐世・飯田・養加・立原・近松・針江・下分・仁和寺・前原・大西・南加茂・加茂・宇治・神原・三代【みじろ】・大竹・東谷・大崎・猪尾【いのお】・岩倉・山田・延野・砂子原【すなごはら】・新宮・幡屋【はたや】・畑鵯【はたひよどり】・遠所【えんじよ】の66か村がみえる。郡家は大東に置かれ,大東と木次が町場であった。鉄山が13か所,鉄穴【かんな】が6か所,紙漉が156軒あった。明和8年の戸口は4,170軒・2万641人である(大原郡誌)。明治11年の郡区町村編制法に基づき,同12年1月6日第15~21区を改めて大原郡を再置し,57か村を管した。郡役所は大東村におく。同13年5月の,郡役所にかかる経費節減のための,大原・仁多・飯石3郡の合併と大原郡木次町に郡役所設置の建議は採用されなかった。同23年6月20日の「郡制施行目的並順序」では仁多郡と合併して簸上【ひかみ】郡とすることにしていたが,地元の反対にあって実現することができなかった。同年8月1日郡制施行予定は,郡の統廃合や郡名の決定に手間取って,同29年まで延期された。大正12年郡制廃止,同15年郡役所廃止。郡の産業をみると,米2,209石余・大麦736石余・大豆326石余・紙類13万80斤余・実綿8万3,442斤余・楮皮1万8,792斤余・ニンジン1万5,399斤余となっている(全国農産表 明治10)。明治13年の戸口は6,334戸・2万8,248人(島根県一覧概表),同22年の戸数6,273・人口2万9,205。同年4月町村制の実施にさきだって合併が進み,郡内57か村は屋裏・加茂・神原・木次・日登・佐世・幡屋・春殖【はるえ】・阿用・海潮【うしお】・大東の11か村となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7411166