川下村(近代)

明治22年~昭和30年の邑智郡の村名。江戸期以来の川下村に町村制が施行されて成立。村役場を字尾原に置く。大正9年の世帯412・人口1,834,同15年川下郵便局開局。同年開業の組合製糸江水社はのちに邑智社となる。同25年川下中学校は川本中学校に統合される。同10年の人口1,787,同25年の世帯445・人口1,988,同25年一部が分離し,邑智郡川越村の大字坂本となる。残余は同30年川本町・三谷村・三原村・大代【おおしろ】村と合併し川本町となる。なお,小字多田【たた】・久座仁【くざに】・谷戸【たんど】(昭和22年現在)はのち大字に昇格,川本町に合併前は川下・谷戸・久座仁【くざに】・多田の4大字を編成していた。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7411614 |