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矢上村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。邑智郡のうち。元和5年以来江戸期を通じて浜田藩領。市木【いちぎ】組に属す。村高は「石見国高郷村帳」で1,778石余,「天保郷帳」では1,875石余で,郡内最高の村高である。戸数・人口は元禄11年381・2,079,天明3年621・2,601,弘化2年582・2,382,明治5年765・2,827。明治5年の職業構成は,農648・神職1・僧侶6・商3・医師7・大工11・鍛冶6・桶屋6・木挽10・石工3・左官3・紺屋2・屋根師4・畳職2で,町場にふさわしい雑多な職業分化がみられる(石見町誌)。慶応2年7月浜田落城後の混乱のなかで,8月6日矢上に百姓一揆が起こり,周辺各村に波及したが,14日になって長州軍民政方の手で鎮撫された。明治9年島根県に所属。「皇国地誌」には田329町余・畑48町余,戸数620・人口3,185とあり,職業は農580・大工11・木挽8・鍛冶6・商15とある。神社は92社もあったが,郷社諏訪神社,村社八幡神社に統合された。寺は西善寺・安楽寺・明賢寺・敬福寺の真宗4寺と曹洞宗の西光寺。明治6年5月開校の矢上小学校には,男38人・女17人が通学していた。物産として「其質極テ佳」の鉄1万4,845貫があり,3,200貫を那賀郡郷田へ送っていた。江戸期には高水鈩・知河原鈩・中ノ谷鈩・原山鈩・大利鈩・押ケ谷鈩があり,鉄は主に芸州加計【かけ】に送っていた。江戸期から明治期に至る矢上村の経済的繁栄をつくったのが製鉄業であった。同17年中野村と連合して戸長役場を中野村に置く。同22年邑智郡矢上村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7414094