赤馬(近代)

明治22年~現在の大字名。昭和29年豊永町,同30年からは豊永を冠称。はじめ豊永村,昭和29年からは新見市の大字。明治24年の戸数131,人口は男381・女355,学校1。明治23年豊永小学校の第1支校として栩尾校が設置され,同26年佐伏尋常小学校に合併された。同34年三尾寺の木造千手観音両脇士像が国重文,昭和34年三尾寺本堂が県重文に指定された。かつては米・麦・甘藷・馬鈴薯・楮・三椏・煙草・ハッカ・柿・栗を主産物としていた。昭和32年一部が北房町上呰部【かみあざえ】となる。同42年満奇洞を国鉄周遊地に指定。同54年田津経由豊永新見線のバスが開通。同58年備北台地の畑地灌漑事業が完成,長年の念願であった農業用水が小阪部川から赤馬留倉地内に揚水され台上地方を潤している。近年煙草の生産に力を入れ,トマトやメロンなどの果実も栽培されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7414445 |





