井手村(近世)

江戸期~明治8年の村名。備中国賀陽郡のうち。毛利氏の支配を経て,はじめ井手藩領,のち分知して旗本領,文久3年高直しにより浅尾藩領。村高は,「備中至宝記」724石余,文化13年の村明細帳747石余,「天保郷帳」753石余,「備中村鑑」724石余,「旧高旧領」898石余。富江には旗本蒔田氏の本家・分家の知行所があったが,天保2年の火災で分家は西三須村,文久3年本家は大名に列して門田村浅尾に陣屋を構築して移動する。文化13年の村明細帳によれば,田37町6反余(川田片毛付5町1反余・悪所片毛付1町3反余を含む)・畑13町6反余,家数141・人数603,牛53,産物は木綿・多葉粉・大豆・稗・粟,寺院は真言宗妙高山極楽寺・円鏡山霊妙寺・大光坊・東漸寺(廃寺),ほかに辻堂が薬師堂・袋の前・鳥形の内・延の内の4か所,神社は荒神社・祝神・新宮熊野三社権現・蛭子神社。用水は十二箇郷用水による。浅尾県,深津県を経て,明治5年小田県に所属。同8年総社村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7414691 |





