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玉(近代)


 明治22年~現在の大字名。昭和29年からは玉川町を冠称。はじめ玉川村,昭和29年からは高梁市の大字。明治24年の戸数123,人口は男306・女314,学校1・水車場4・船21。同26年10月14日の暴風雨による大洪水で堤防が決壊し,流壊家屋は14戸で,道路・橋梁・田畑は流され,炊出し米による救助活動は5日間に及んだ。明治5年頃は9隻あった高瀬舟は昭和9年には19隻となり,他の地域が減少をたどるなかで増加していたが,その根拠地は成羽川沿いの小瀬と片瀬であった。この高瀬舟も昭和15年を境に次第に姿を消していった。当地の産物には薪炭・木材・松茸および鮎・鰻・鮠などの水産物がある。昭和3年玉川郵便局が開設され,同21年郵便集配業務開始。同22年玉川中学校開校。同32年市内各地に先駆けて農協による有線放送電話による通話が行われ加入者は99.3%に及んだが,同38年市内の有線放送電話が統合され,同51年には一般公衆電話となる。昭和30年玉川小学校改築。同年私立玉子ども園が設立され,同42年市立高梁南玉川分園となる。昭和30年高梁・落合・玉川の中学校が名目統合し,同41年玉川中学校廃校。昭和35年市道宇戸谷高梁線が県道となる。同47年大水害により成羽川に架けられていた木橋が流されたためその復旧工事が行われ,翌48年神崎橋・小瀬橋が架けられた。昭和36年玉川郵便局の郵便配達業務が高梁郵便局へ統合され,同39年には電話交換業務も高梁電報電話局へ統合された。近年山林の乱伐や林業の不振などに伴い薪炭の売れ行きが激減し,松茸の採取も少なくなり,新しく椎茸の栽培が開始され成果をあげている。同60年の世帯数124・人口443。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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