勇崎(近代)

明治22年~現在の大字名。昭和42年からは玉島を冠称。はじめ柏崎村,明治35年玉島町,昭和27年玉島市,昭和42年からは倉敷市の大字。明治24年の戸数402,人口は男1,119・女1,043,船46。江戸期から塩田として栄え,明治38年味野塩務局寄島出張所玉島倉庫事務所が設置された。昭和27年入浜式から流下式に改良されたが,輸入塩におされ同34年操業は全面的に中止された。塩田跡の一部は玉島自動車教習所となっている。昭和24年黒崎~羽口間に勇崎塩田の一部を埋め立てバス通路が開通した。同26年の戸数510,人口2,510(玉島変遷史)。同46年玉島勇崎~水島川崎通1丁目を結ぶ水島玉島産業有料道路(水玉ハイウエー)の工事が始まり,同52年に開通した。北を通過する国道2号の玉島阿賀崎の字唐船を経由して利用する車が多くなった。世帯数・人口は,昭和46年507・2,148,同51年581・2,275,同61年660・2,391。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7420183 |





