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坂(近代)


 昭和4年~現在の大字名。はじめ向原村,昭和12年からは向原町の大字。人口は,昭和4年3,175,同15年頃まで減少したが,第2次大戦終了直前には4,588,戦後は減少を続けている。昭和初年向原~川源村間に乗合自動車,向原~広島間に貨物自動車の運行開始。同じ頃,農村不況の影響で大江銀行向原支店が倒産,農民に大損害を与えた。自作田1,620反・畑230反,小作田755反・畑42反であったが,農地改革により農家戸数584戸のうち自作430・自小作131・小作23となり,平均一戸あたり4.4反となる。昭和初年蚊帳地150反および麻布・瓦・酒・醤油・鶏卵5万個・マツタケなどの産があり,戦後は,マツ材のほか特に石材は広島庭石として京阪神・京浜地方まで出荷され,砕石も年5万tの産があった。願船寺は第2次大戦前託児所,戦後保育所を経営し,カトリック教会は聖母幼稚園を設立したが,昭和54年に閉鎖された。昭和18年逓信講習生40名が円光寺・願船寺へ,呉市荒神国民学校学童43名が向原国民学校へ集団疎開した。同30年向原郵便局は有保地区の集配も始める。同56年国貞山八幡神社の社叢の植生群が県の緑地環境保全地域に指定された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7422011