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新庄(近代)


 明治22年~昭和29年の敷信村の大字名。明治24年の戸数100・人口475。庄原町の上野池は慶安~承応年間創設の灌漑用溜池で,その後たびたびの改修で現在は面積2haの大池となっているが,貯水量不足に悩み,新庄の和田池の余水導入が望まれていたが幕末に至っても実現しなかった。明治35年にようやく計画が実現し,延長500間余の水路が完成。新庄の用水不要時には上野池へも送水している(丑寅神社境内の記念碑碑文・上野疏水記)。大正3年庄原町に火力発電所が開設され当地にも電灯が普及し始める。同8年頃から庄原―峰田―帝釈―東城間にバスを運行し,当地にバスが通り始めた。昭和20年県立師範学校付属国民学校児童44・教員7が集団疎開し,西光寺を宿舎とした。同22年頃庄原~上下間,庄原~東城間にバス各2往復が運行された。同29年庄原市新庄町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7422351