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仁方村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。賀茂郡のうち。広島藩領。枝郷には戸田浦・宮原浦がある。村高は,元和5年「知行帳」では「にかた村」と見え785石余,「芸藩通志」827石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。「芸藩通志」では畝数92町余,ほかに仁方村塩浜10町余がある。「国郡志書出帳」によれば,戸数454,蔵・納屋101,塩浜小屋10・塩釜屋12・塩坪24・塩納屋13,人数2,789(男1,495・女1,294),牛100,船41。商品作物は塩・櫨実・網・薪など,塩浜は「当所塩浜拾弐軒は元来開発之刻塩浜之見込に無之,旧地積に築立候後白市村大文字屋作右衛門へ買受,同人仕入にて塩浜にいたし候」としたもの,農間余業としては鰯網すき,塩浜業の地場すきかき,柴木伐出し,塩浜用の小縄ない,木綿織。塩業に関連した職業として,地元をはじめ讃州・予州の塩を買い積み広島に販売する商人が19(うち専業10)。また野路山麓で「土瓶花生類の土器細工人壱人……農業は兼不申候」という記述も見られる。鎮守の八幡宮は豊前国の宇佐八幡宮を勧請。天文22年に僧願成によって禅寺として建立された浄徳寺は,その後5世浄空の時に帰依して西本願寺派となる。天保14年芭蕉塚を建立。またそのまわりの玉垣16基には,当村の俳人の句が1人1句ずつ刻まれていた。明治4年広島県に所属。同6年興昌館を創立,同11年仁方学校と改称。同17年の戸数874・人口4,003。同22年市制町村制施行による仁方村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7423094