福本(近代)

明治22年~現在の大字名。昭和49年からは西条町を冠称。はじめ板城村,昭和30年西条町,同49年からは東広島市の大字。明治24年の戸数97・人口525。農業が主体で,米・麦・蔬菜などを栽培するが,花卉農家もある。千足池は下三永・郷田小滝原開拓地,行貞・大沢地区への灌漑用水池として,昭和16年字千足の地の民家2軒を立ち退かせて着工,第2次大戦中の工事中断など困難を克服,19年の歳月をかけて同34年完成した。堤長140m・堤高16m・堤底幅109m,満水面積8町,貯水量48万t,幹線水路延長2,539m。同52年市の浄水用として2,000tが分与された(水の歴史)。昭和47年山陽新幹線開通。国道2号下三永から分かれて長野を縦断し,蚊無峠を経て安芸津町三津へ出る主要地方道安芸津下三永線があり,一部に拡張工事が行われており,予定されている新幹線駅設置が実現すると重要道路となるはずである。世帯数・人口は,昭和50年60・259,同55年75・291(男129・女162)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7423556 |





