御薗宇(近代)

昭和14年~現在の大字名。昭和49年からは西条町を冠称。はじめ西条町,昭和49年からは東広島市の大字。昭和16年鏡山東南麓の大池のそばに満州移住協会西条訓練所の日輪兵舎7棟を建てるなどして開所したが第2次大戦後廃止した。跡地へ同43年県立農業短期大学を西条から移転。御条橋浄水場へは同57年県用水として太田川水域の水が送水されてきた(東広島市の水道)。東広島水道局は同59年同浄水場の東側に新築された。賀茂工業団地は昭和42年完成。黒瀬川を挟み国道2号~国道375号間の281m[sup]2[/sup]余を造成した。御薗宇小学校は昭和35年西条小学校に併合されたが,同56年観音橋の東へ再び児童数337で開校した。松賀中学校は字松賀に同60年開校。国道2号バイパスが中央部を東西に開通。西条駅大学線が昭和57年開通。世帯数・人口は,昭和50年1,384・4,876,同55年1,626・5,551(男2,764・女2,787)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7423799 |