100辞書・辞典一括検索

JLogos

27

厚狭郡


寛文4年までは厚東・厚狭(厚西)の両郡からなっており,以後,厚狭郡に統一される。慶長15年検地帳によれば,厚東郡として,村は船木,万倉,吉部【きべ】郷,鹿小野,宇津木,藤河内【ふじごうち】・山中,車地,吉見,木田・薬師堂・瓜生野,今富・芦河内・矢矯【やはぎ】,棚井,末延,川上,宇部郷,中山・奥旦,藤曲,小串,際波【きわなみ】,須恵,千崎,高泊,有帆の23か村,石高は田2万3,778石余・畑1,983石余・百姓屋敷1,108石余・市屋敷142石余・浦屋敷45石余・小成物176石余・浦浮役359石余・塩浜方485石余で合計2万8,080石余,反別は田2,152町余・畑505町余・百姓屋敷139町余・市屋敷11町余・浦屋敷3町余,家数は百姓屋敷2,457・市屋敷405・浦屋敷89,また,厚狭郡としては,村は鴨庄,末益・梶浦,山井,埴生,津布田,肥田,松屋,宇津井,吉田庄の9か村,石高は田1万6,289石余・畑1,760石余・百姓屋敷764石余・市屋敷187石余・浦屋敷14石余で石高合計1万9,082石余,反別は田1,179町余・畑321町余・百姓屋敷73町余・市屋敷5町余・浦屋敷4反余,家数は百姓屋敷1,222・市屋敷223・浦屋敷20と記されている。厚東・厚狭両郡の合計では,村数32,高4万7,162石余,田3,332町余・畑827町余,家数は百姓屋敷3,679・市屋敷628・浦屋敷109。寛永2年検地帳によれば,厚東郡は村数22,高3万2,745石余(うち田2万7,356石余・畑2,844石余)など,家数2,542(百姓屋敷2,230,市・町屋敷225,浦屋敷87),厚狭郡は村数9,高1万9,626石余(うち田1万6,523石余・畑1,939石余など),家数1,167(百姓屋敷917,市・町屋敷140,浦屋敷110)。なお,厚東・厚狭両郡を合計した当郡の村数31,高5万2,371石余(うち田4万3,879石余・畑4,784石余など),反別は田2,977町余・畑705町余など,家数3,709(百姓屋敷3,147,市・町屋敷365,浦屋敷197)。「地下上申」によると,宇部・川上・小串・中山・奥壇・藤曲・広瀬・棚井・末信・吉見・山中・木田・車地・藤河内・棯小野・四ケ小野・花香・如意寺・沖壇・際波・須恵・千崎・高泊・有帆・船木・万倉・矢矯・吉部・鴨庄・末益・山野井・津布田・埴生【はぶ】(長府藩領)・福田(同前)・松屋・宇津井・吉田・肥田の38か村からなる。大部分が萩藩領で,宰判は東部に舟木,西部に吉田の両宰判がある。「旧高旧領」によれば,旧萩藩領36・旧長府藩領4の40か村・9万5,928石余。明治7年,大区小区制による当郡の会議所は,船木村・吉田村に置かれたが,同11年大区小区扱所は船木村に統合された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7424469