牛島(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ室積村,明治39年室積町,昭和18年からは光市の大字。明治37年には島内を7組に分け組長を置いた。明治24年の戸数157・人口964(男476・女488),寺院1,学校1,船87(徴発物件一覧)。同25年牛島簡易小学校は牛島尋常小学校と改称,同34年には児童の増加により字岡ケ市に新築移転した。同43年実業補習学校を併設,大正3年牛島尋常高等小学校,昭和16年牛島国民学校と改称し,同23年牛島小学校となる。同年室積中学校牛島分校が新設され,牛島中学校として独立し,小学校に併置された。明治33年牛島漁業組合が設立され,昭和25年牛島漁協と改称,同29年対岸の麻里府漁協を吸収合併した。大正4年には防波堤が完成し,室積港との間に定期船の運航が始まる。昭和43年牛島室積定期旅客航路の経営が,牛島海運会社を設立し移管された。同45年船舶整備公団共有新鋭旅客船牛島丸(鋼船52t)が就航,同61年には新造旅客船うしま(鋼船38t)が就航した。昭和27年電話が開通。同32年には離島振興法が適用され,同33年本土より電気が送電された。同47年牛島診療所に韓国の医師が着任し,20年間の無医地区が解消される。同50年牛島公民館(出張所併設)・牛島漁協が新築された。世帯数・人口は,昭和7年163・1,180,同30年193・875,同53年139・365(うち男169・女196),同60年111・267(男123・女144)。昭和22年の田2町9反余・畑35町7反余・山林102町5反余・宅地1町余・原野1町1反余・その他29町5反余(光市統計資料)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7424730 |





