城戸(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ豊田下村,昭和29年からは豊田町の大字。明治24年の戸数14・人口85(男40・女45),船1(徴発物件一覧)。行政区は昭和31年から城戸・西長野・江良をあわせて石町となる。石町行政区の世帯数・人口は,昭和40年101・406(男197・女209),同55年88・275(男130・女145),同60年83(うち城戸10)・292(男136・女156)。ほとんど農家で,地内の昭和44年の稲作面積は,西長野を含め15戸・1,509a(食糧事務所資料)。当地は主要地方道下関長門線の沿線で交通至便。大正7年から昭和31年までは長門鉄道が走り,城戸停留所があった。路線バスは大正3年開通したが,長門鉄道の敷設で一時中断,同12年から再び開通した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7425212 |





