100辞書・辞典一括検索

JLogos

45

地吉(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ豊田奥村,明治32年からは西市村,大正13年西市町,昭和29年からは豊田町の大字。江戸期の地吉村と,今出村のうち旧伊藤田村域をもって成立。旧伊藤田村域は行政区としては今出に属す。明治24年の戸数117・人口455(男238・女217),厩2,寺院1,水車1,船1(徴発物件一覧)。世帯数・人口は,昭和40年26・96(男40・女56),同55年22・64(男29・女35),同60年20・52(男24・女28)。県は昭和14年地内南端の大河内との境付近にダムを築き,下関一円の水道・工業用水の水源にする計画をたて,同15年着工。第2次大戦のため中断したが,昭和25年工事再開,同29年完成,豊田湖と名づけた。このため123世帯が湖底となり,戸口が激減した。現在の集落は王居止4世帯・荒川10世帯・向原3世帯・豊田湖西岸に3世帯である。茶か原にあった光雲寺は楢原の正念寺に合寺。明治30年今出から移転した三豊小学校,昭和22年創立した三豊中学校がある。大正14年設置した西市町信用購買販売組合三豊支部から,昭和23年に独立した三豊農協は,荒川の高地に移転。三豊中学校は同35年豊田東中学校に統合。三豊農協は同37年豊田町の5農協の合併により山口豊田農協の三豊支所となる。昭和13年開局した地吉郵便局は大河内に移転。江戸期から続いた当地の紙の生産は,昭和20年代まで行われた。昭和44年の稲作面積は11戸で481a(食糧事務所資料),ダム建設のため,水没した田51ha余・畑14ha余。昭和49年豊田町第2次農業構造改善事業による観光梨園を開設。昭和46年豊田湖畔に長門カントリークラブゴルフ場を開設。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7425583