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横野(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ豊西中村,明治43年安岡村,大正14年安岡町,昭和12年からは下関市の大字。明治22年東伯道が横野学校を設立,簡易小学校を卒業した者に補習教育を行った(下関市史)。同24年の戸数152・人口593(男270・女323),寺院1,学校1,船11(徴発物件一覧)。明治期後半から大正期にかけて横野絣が盛んに織られた。大正5年には横野水田耕地整理工事が施工された(下関市史)。横野柿原樹が昭和6年に国史跡および天然記念物に指定されたが,昭和30年ごろ枯死。横野柿は果実が豊大で,種がないという特徴を持っている。約270年前に偶然この地で発生した。明治34年に里人以外にも穂木の分与が解禁され,四国,九州に分布した(同前)。当地では江戸期以来キュウリの栽培が盛んに行われ,明治24年油紙障子による促成栽培が考案され,同30年温床栽培が開始された(長門の民俗)。安岡郵便局(明治7年開設)が昭和45年安岡から移転。世帯数・人口は,昭和5年194・713,同10年203・929(男419・女510),同25年274・1,238(男589・女649),同35年254・1,230(男573・女657),同45年359・1,341,同50年453・1,595(男753・女842),同60年590・2,060(男933・女1,127)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7426831