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吉敷(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ吉敷村,昭和4年からは山口市の大字。中尾を含んだ行政区名も吉敷と称した。明治22年頃の戸数493・人口2,613(山口市史)。同24年の戸数572・人口2,307(男1,153・女1,154),厩217,寺8,学校2,水車4(徴発物件一覧)。昭和8年に県道山口大田線がほぼ地区の中央を縦貫し,山口定期バスが運行された。同18年以降は市営バスに移行し,さらに戦後は国鉄バスの山口~吉則線が運行した。県道山口大田線は昭和50年に国道376号となり,同57年には国道435号と改められた。昭和40年ごろから国道9号沿いを中心に急速に都市化の傾向を示している。佐畑・新町には,日本キリスト教の三傑の一人で,大阪聖人といわれた沢山保羅の旧宅があり,また赤田の泉山東方には,日本女子大学の創立者で,わが国女子教育の先駆者として知られる成瀬仁蔵の旧宅跡がある。現在記念碑があり,昭和44年市の史跡に指定された。世帯数・人口は,昭和22年656・3,279,同30年656・3,374(男1,589・女1,785),同40年770・3,577(男1,698・女1,879),同50年1,587・5,505(男2,638・女2,867),同60年2,671・8,549(男4,094・女4,455)。昭和40年一部が,泉町・葵1~2丁目・宝町・湯田温泉1~6丁目となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7426848