和田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ和田村,昭和30年からは東和町の大字。明治24年の戸数429・人口1,625(男792・女833),寺院2,学校1,船57(徴発物件一覧)。世帯数・人口は,昭和30年328・1,281,同35年310・1,075,同50年254・667,同55年246・603。昭和30~55年までの25年間に人口は半分に減少している。明治35年頃から当地方に養蚕業が発達し,大正中頃には県下で最も養蚕業の盛んな地となる。当地出身の西元新八は明治29年頃阿武【あぶ】郡椿村の中村正路の耕稼園養蚕伝習所に入り養蚕について学び,同35年には大島郡技手兼巡回講師として郡内の養蚕指導にあたった。同37年には公職を退いて蚕種製造に専心し,すぐれた養蚕指導者として知られる(東和町誌)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7426911 |





