蔵本(近代)

明治22年~昭和12年の大字名。はじめ加茂名村,大正4年からは加茂名町の大字。明治24年の戸数446・人口1,863(男942・女921),厩26,寺3,船5(徴発物件一覧表)。加茂名村の養蚕は明治30年頃から年を追って全域の農家に広まった。特に大正10年から昭和初期にかけては最盛期で,畑の大半に桑が植えられほとんどの農家が養蚕を行った。小口組徳島製糸工場が隣村の島田村に設立されてからは,当地が県下における繭の取引の中心地となり,大量の繭を集散した。そのため繭の仲買人の多くは蔵本に居住し,関連して乾繭場・乾繭倉庫をはじめ製糸工場・染織工場・織布工場などがあって盛んに生糸・綿織物を生産した。明治41年歩兵第10旅団・歩兵第62連隊・徳島衛戍病院(昭和11年徳島陸軍病院と改称)が置かれ,大正4年の軍備縮小によってともに廃止となり新たに改編の結果,同年歩兵第22旅団,翌年歩兵43連隊が設置された。さらに昭和2年歩兵43連隊練兵場の一角に徳島航空学校が開設され,当時これは西日本でも数少ない民間パイロット養成機関であった。その関連で急激に料理飲食店が増加し,明治後期から大正期にかけて蔵本の花街としてにぎわった。明治32年蔵本駅が設置され,その後国鉄徳島本線蔵本駅として新しく発足した。昭和12年徳島市蔵本町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7427599 |





