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斎田(近代)


 明治22年~現在の大字名。昭和22年5月からは撫養町を冠称。はじめ撫養町,昭和22年3月鳴南市,同年5月からは鳴門市の大字。当地の主な産業は,入浜式塩田による製塩業と足袋製造業であった。明治22年の塩田面積15町8反7畝27歩・釜数11・製塩高7,950石で,同38年塩田面積15町2反2畝6歩・製塩高1万1,087石であった(鳴門塩業史)。昭和28~33年に入浜式塩田が流下式塩田にかわった。昭和46年製塩法がイオン交換膜樹脂法に切り換えられ,塩田は土地区画整理事業で埋め立てられ,住宅地域となり,その後人口流入が続いている。足袋製造は明治期から盛んであったが,昭和30年頃から足袋の需要が減少してきた。同58年足袋製造業者数は,鳴門市内に19軒,当地の業者は2軒である。大正2年戸数800・人口3,762(男1,884・女1,878)。世帯数・人口は,昭和35年776・3,185(男1,503・女1,682),同58年1,212・3,837(男1,785・女2,052)。大正期米の減産とシベリア出兵が引き金となり,米価の急騰に端を発した米騒動が全国的に波及し,大正7年当地でも米騒動未遂事件が発生した(鳴門市史)。昭和26年当地の県立鳴門高校が春の全国高等学校野球選抜大会で優勝した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7427698