中郷(近代)

明治22年~昭和32年の大字名。はじめ小松島村,明治40年小松島町,昭和26年からは小松島市の大字。明治24年の戸数389・人口1,371(男795・女576),厩67,寺1,船1(徴発物件一覧表)。明治20年桜馬場で味噌醤油製造の吉本商店が操業をはじめていたが,同33年阿波友禅も創業,綿織物の生産と藍による友禅染めが行われた。大正6年西野に資本金340万円の四国製糸が創業した。同社の釜数256,職工男40・女280計320を擁し,年間産出生糸4万斤,工場敷地3万9,600m[sup]2[/sup]の大規模なものであったが,昭和恐慌後の製糸不振により昭和5年には操業停止となった。また,この製糸会社からでる蚕の蛹や,醤油の絞り粕を利用して油脂や肥料を製造する阿波油肥が大正8年に西野に設立されていたが四国製糸の操業停止に伴い,昭和6年に操業を停止した。四国製糸の跡地には,昭和11年真鍋製紙が工場を建設し,ちり紙・紙ひもの原材料などを製造した。交通では,大正2年阿波国共同汽船の軽便鉄道が竣工,当地を通る。同4年羽ノ浦町古庄へと結ぶ阿南鉄道の敷設工事が着工され,大正5年5月開通,同年12月に字長手に中田駅が開業した。同駅はその後,昭和60年の小松島線廃止まで同線と牟岐線の分岐点となっていた。この阿南鉄道の起点をめぐっては,当地と小松島町間で小松島を二分する激しい誘致紛争を惹き起こした(徳島市史)。なお,大正5年の同駅の年間乗客数は1万1,000人余り,大正10年には年間9万9,000人余りに達している。昭和32年中郷町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7428239 |





