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香川郡


当郡は明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治5年88区制の施行により第30区(旧城下常磐橋以東と東浜村・上ノ村),第31区(旧城下常磐橋以西と中ノ村・宮脇村・馬場町),第32区(上多肥・下多肥・鹿角・伏石・今里・太田・松縄・福岡の各村),第33区(一宮・仏生山・百相・出作・三名の各村),第34区(寺井・浅野・大野の各村),第35区(由佐・西庄・池内・横井・吉光の各村),第36区(岡・川東上・川東下・川内原・東谷の各村),第37区(安原上・安原下の各村),第38区(川部・岡本・中間・山崎・円座の各村),第39区(万蔵・坂田・馬場・勅使・成合・沖の各村),第40区(鶴市・郷東・飯田・檀紙・御厩の各村),第41区(笠居村),第42区(直島・女木島・男木島)に配された。同7年の大区小区制では,名東県の第18大区1~8小区に,同8年大区の名称が第6大区に改称され,また同9年8月には第1大区1~9小区に,さらに愛媛県に編入されるに及んで同年9月には第4大区1~9小区に改編された。第18大区当時は区長事務所を高松常磐橋北詰に,戸長事務所を1小区は高松常磐橋北詰,2小区も同所,3小区は太田村西法寺,4小区は百相村観音庵,5小区は由佐村八幡宮,6小区は山崎村,7小区は勅使村高善寺,8小区は笠居村国清寺前に置いた。区長並学区取締兼務には松本貫四郎が任命された。同8年の戸数は2万4,696・人口11万702,反別4,374町1反余,沽券金4万6,000円余,同地坪32万7,905坪(梶山家文書)。明治11年の郡区町村編制法により大区小区制が廃され,新たな香川郡として発足。同年郡役所は旧高松城下に置くとされ(愛媛県布達甲139号),同14年地方費節減のため三木山田郡役所が削減されて山田郡をも管下に置く,山田香川郡役所を高松三番町法泉寺内に設置。のち同32年山田郡と分離して香川郡のみになると郡役所を栗林村に移した。初代香川郡長は松本貫四郎。また初代山田・香川郡長は長谷川誠一郎。同32年の香川郡長は近藤縮往。郡内の町村数は,明治11年60町53村。その後福岡村が2か村に分村して福岡上村・福岡下村となり,安原上村から安原上東村・安原上西村が分村,笠居村が上笠居村・中笠居村・下笠居村の3村に分村した結果,同18年の戸長役場管轄区域の制では60町57村となり,4町23村(21村2島)に戸長役場が置かれた。さらに同23年市制町村制の施行にあたり,旧高松城下が市制施行により高松市となった結果,当郡の自治体は宮脇村・栗林村・東浜村・太田村・鷺田村・一宮村・多肥村・百相村・大野村・浅野村・川東村・安原村・安原上東村・安原上西村・池西村・由佐村・川岡村・円座村・檀紙村・弦打村・上笠居村・中笠居村・下笠居村・雌雄島村・直島村の25村に統合された。同31年百相村に多肥村出作の一部を編入して仏生山町が成立,大正4年中笠居村が町制を施行して香西町となり,同7年安原上東村が塩江村と改称,大正3年宮脇村,同10年東浜村・栗林村,昭和15年鷺田村と太田村がそれぞれ高松市に編入され,同26安原上西村が上西村と改称,同29年直島村に町制施行,同年一宮村の一部が高松市に編入され,同30年浅野村・川東村・大野村が合併して香川町が成立,同31年池西村と由佐村が合併して香南町が,塩江村・安原村・上西村が合併して塩江町が成立,同年仏生山町・香西町・多肥村・一宮村・円座村・檀紙村・川岡村・弦打村・上笠居村・下笠居村・雌雄島村は高松市に編入,また,同年には塩江町成立後同町の一部を香川町に,香川町の一部は一宮村に編入されており,同33年にも香川町の一部が高松市に編入された。明治22年の戸数2万3,857・人口11万3,872(男5万7,534・女5万6,338)。同24年の医師および職工の人数は医師49・獣医1・大工243・船大工6・石工67・鍛工72・車工23・桶工78・杣職13・木挽職67・縫工6,建造物では学校数41,寺院数79,倉庫665棟(徴発物件一覧)。明治中期の耕地反別6,701町余(県農事調査)。大正9年の世帯数1万7,749・人口8万5,416(男4万2,840・女4万2,576),昭和10年の世帯数1万4,969・人口7万7,009(男3万8,602・女3万8,407),同25年の世帯数1万7,228・人口8万9,431,同35年の世帯数6,787・人口3万1,900。職業別構成は大正9年度は,農業58.7%・工業17.9%・商業8.4%・公務自由業4.1%・水産業2.8%・交通業2.5%など。昭和5年度は農業69.5%・工業12%・商業8.4%・公務自由業3.7%・交通業2.9%・水産業1.3%,同35年度は農業51%・製造業21%・サービス業6.4%・小売業6.1%・建設業5.5%・運輸通信業3.8%・公務2.5%・水産業1.4%などである。大正期高松の南部郊外は工業が発達し,同10年職工10人以上使用工場には鷺田村に川野製紙場・小川製紙場・林製紙場・高橋製紙場・山本製紙場・岡野製紙場・丸日工場・国宗清酒醸造場,円座村に円座酒造・讃岐酒造,仏生山町に香川製糸,香西町に香西酒造・井筒屋醤油醸造所,下笠居村に香川土管,直島村に土佐舎密があった。また大正中期頃の交通路には,国道23号(高松~三豊郡財田村),県道塩ノ江高松線,県道香西坂出線のほか,郡道20路線が通じていた(県案内)。昭和4年塩江温泉鉄道が仏生山~塩江間にガソリンカーの営業を開始したが,同16年燃料・資財不足で廃業した。現在の当郡は塩江町・香南町・香川町・直島町の4町。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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