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高松町(近代)


 昭和15年~現在の高松市の町名。もとは古高松村古高松。昭和15年末の世帯数461・人口2,296(男1,143・女1,153)。同16年古高松尋常高等小学校は,古高松国民学校と改称され,同年の12月8日太平洋戦争が勃発。同19年大阪市港区三先国民学校児童33名が,古高松国民学校に疎開入校する(古高松郷土誌)。戦地へ出兵する兵士も増加,同年末の世帯数461・人口2,163(男985・女1,178)となって,特に男子人口の減少が著しい。同20年7月4日未明,高松市は空襲を受け旧市の約8割を焼失,戦災を免れた当地には,罹災者・海外引揚者や復員軍人が受け入れられ,終戦直後の同20年末の世帯数799・人口3,878(男1,752・女2,126)と急激に増加してくる。戦後の教育改革で6・3制が実施されると,古高松国民学校は古高松小学校と改称され,新制の古高松中学校が,小学校の校舎を借用して発足する。古高松保育所が小学校の一部を借用して開設された昭和25年になると,世帯数は763・人口3,781(男1,836・女1,945)と減少傾向をみせて,旧市の戦災復興のきざしがみえはじめる。昭和27年には,当町の北部を東西に通る国道22号(観光道路または志度街道)は,国道11号と改編されて改装される。これまでの古高松中学校も同29年9月には屋島中町に新設された屋島中学校に統合される。同30年代には,当地は高松市内の住宅地域として,団地・アパートなどが建設され,人口も急増する。また国道11号の交通緩和のため,同46年完成した国道11号のバイパスは,開通と同時に国道11号に昇格し,これまでの国道11号(観光道路)は,県道牟礼中新線に格下げされるが,これらの沿道には,各種の商店や会社の事務所が立ち並ぶ。世帯数・人口は,昭和35年1,201・5,131(男2,434・女2,697),同45年2,031・7,219(男3,470・女3,749),同55年3,929・1万2,702(男6,249・女6,453)。同年の専業農家戸数14・第1種兼業農家戸数22・第2種兼業農家戸数179(1980年世界農林センサス)。溜池の数44(市ため池調査表)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7429838