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屋島(近代)


 明治23年~昭和15年の大字名。はじめ潟元村,大正9年屋島村,昭和8年からは屋島町の大字。明治24年の戸数287・人口1,593(男809・女784),幅員東西9町・南北1里9町,寺2,学校1,50石以上の和船22・小船77(徴発物件一覧)。当地は屋島山上および屋島の南東麓から東麓に位置して,農業は傾斜地を利用したところにあるため,小規模ながら溜池の数は多い。同25年備後の三原宗晃と平井村の菊地一郎によって,立石浜塩田(屋島檀ノ浦新浜)10町歩が開拓される(木田郡誌)。日清戦争が勃発した同27年は,春から夏にかけて135日の干天,池底は乾き,稲は枯死,灌漑を池水に仰ぐ当地では,その被害が特に甚大であった(高松市史年表)。そのうえ,塩・砂糖などの特産物価格が低落して,県下の金融も著しく逼迫する(高松百十四銀行回顧録)。同30年村雲尼公は屋島に登山し,源平古戦場の絶景をみて,談古嶺と命名する(古今讃岐名勝図絵)。大正10~13年の間に当地藤目において小作争議が2件発生する(木田郡農民史)。昭和15年高松市屋島東町となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7430535