須崎名(中世)

織豊期に見える名【みよう】の名。幡多郡のうち。天正17年の下山郷地検帳に「須崎名」と見え,島ノ奈留・川ヨリ西村・トイノ谷・名本村・下崎村・舟ハイ村・坂本村・下桁村の8か村にまたがり,永生村(7筆,ほかに津野河名5筆)・藪我市村(1筆,ほかに津野河名96筆)・奥下桁村(1筆ほかに下家地名26筆)にも散在している。前記の小村に関しては,現在須崎の中に通称地名として下桁・下崎・奈路が,小字として坂本がある。島ノ奈留は25筆,計1町9反余うち田1町3反余・畠4反余・屋敷38代(ただし出分を除く),ホノギの井テクチの名のとおり水田が多く切畑がない。川ヨリ西村は8筆,計3反余うち田1反余・畠1反余・屋敷40代(ただし出分を除く)である。トイノ谷は地名の示すとおり10筆すべて田であり,計5反余(ただし出分を除く)である。名本村は35筆,計1町8反余うち田4反余・畠1町2反余・屋敷1反余(ただし出分を除く)で,ほかに切畑が16代あり,ホノギのヤシキ内外かけての1筆は中ヤシキで,名本居となっている。下崎村は1筆で切畑14代,舟ハイ村は10筆,計6反余で,田4反余・切畑2反余(ただし出分を除く)。坂本村は10筆,計5反余うち田4反余・畠36代・屋敷9代・切畑1反余(ただし出分を除く)。下桁村は当名の中でも筆数が多く,49筆,計2町2反余うち田1町4反余・畠3反余・屋敷1反余・切畑2反余(ただし出分を除く)である。以上の当名の面積は148筆,計8町3反余(ただし出分を除く)であるが,不明の文字があり実際は多少多くなり,これに永生村・藪我市村・奥下桁村の9筆が加わる。地形的には片寄った耕作形態であり,等級の低い田畠や切畑が多い。田畠などの内訳は田4町8反余・畠2町3反余・屋敷5反余・切畑7反余(ただし出分を除く)である。なお,小村の下崎村については,文亀3年3月20日の旦那売券に「右之旦那者,土佐国下崎・田島・矢坂地下一族共ニ,我之持分一円ニ売申処実正也」とあり,下崎などの旦那職が2貫400文で千頼から廊之坊に売られている(潮崎稜威主文書/熊野那智大社文書4)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436046 |