橘浦(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ奥内村,昭和26年大内町,同32年からは大月町の大字。明治24年の戸数69・人口389(男180・女209),厩2,船45。明治34年,橘浦小学校は橘浦尋常小学校となる。同年橘浦漁業会設立,昭和24年橘浦漁業協同組合となる。同27年橘浦は第1種漁港に指定され,港湾が順次整備された。同37年広見中学校橘浦分校が橘浦中学校となる。同年の橘浦漁協の経営体数は総数71,無動力船42,動力船3t未満3・3~5t21,小型定置網2・地引網1・浅海養殖2(沿岸漁業構造改善)。同48年福良安満地線の開通により昔日の険路は解消された。同55年の漁業経営体数は総数130うち採介藻2・一本釣り68・まき網(付属船)3・はえなわ1・雑漁56(漁業センサス)。同56年の世帯120・人口387。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436215 |





