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長生村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。幡多郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳65石余(南路志),寛文7年の郷村石付と寛保3年の郷村帳とも同高,「天保郷帳」では「下山村枝郷」として90石余。明治3年の郷村帳では下山上分1,164石余のうち。「南路志」では下山郷のうちとあるが,下山郷は下山上分・下山下分に二分され,うち下山上分に属した。元禄地払帳によれば「永生村」と見え,本田65石余,すべて御蔵知,新田9石余うち中脇弥兵衛領知・御貢物地7斗余。寛保3年の郷村帳による戸数11・人数55(男34・女21),牛3・馬1。また「土佐州郡志」では下山21村の1つとあり,高知から29里余,戸数14,寺社は則心庵と白皇社,土産は楮・茶・材木・葛・蕨をあげ,四万十川河口下田浦まで11里余とし「有舟便運漕」と見える。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば,庄屋・老が置かれ,家数15・人数84,牛馬6,御留山3,猟師筒4,宮は牛頭天皇・白皇権現,寺は即心庵とある。当村の庄屋は中脇氏が世襲,初代庄屋宗兵衛の父中脇美作守は大坂の陣に大坂へ籠城,元和元年八尾で討死,また下山郷は国境防備のため,明暦2年から万治2年までの伊予宇和島藩との篠山国境紛争以来特に重要視され,4代弥三右衛門は明暦2年下山百人衆に取り立てられたといい,幕末には,9代弥三郎は一時期岩間村・茅生【かよう】村の庄屋も兼ねたという。明治4年高知県に所属。同22年江川崎村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7436532