成山村(近世)

江戸期~明治22年の村名。土佐郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳97石余(南路志),寛文7年の郷村石付でも同高,寛保3年の郷村帳97石余,「天保郷帳」98石余,明治3年の郷村帳106石余(本田97石余・新田8石余)。元禄地払帳によれば,本田97石余うち御蔵知87石余・安芸権兵衛給田10石,新田4石余は御貢物地。「土佐州郡志」では,領家郷のうちと見え,村の規模は東西1里余・南北15町余,横藪・本村・北成山の3集落をあわせて成山と名付け,戸数60余,寺社に地蔵堂・地主林・滝野宮・天満天神社・法星大明神・山神があり,土産は紙(製紙数品)・桑で,楮工が若干居住する。寛保3年の郷村帳によれば,戸数103・人数478(男246・女232),猟銃14,牛35・馬45。藩から徳川将軍に献上する七色紙の発祥地。養蚕・機織・染色を心得る養甫尼は安芸三郎左衛門家友と協力して七色紙を考案したという(工業経済史・伊野町史)。慶長5年長宗我部家が滅亡すると,領地を失った養甫尼は紀州へ去り,安芸家友は新領主山内一豊に色紙を献上して嘉賞を受け,七色紙は藩から徳川将軍家への献納が恒例になり,以来製法の秘密は厳守を命じられ,藩の保護を受けて当村と伊野村に24戸の御用紙漉家が幕末まで続いている。そのほかにも御蔵紙・平紙の製紙業が旺盛になって明治末期まで続いた(同前)。明治4年高知県に所属。同13年に成山小学校の前身の児童教育所を開設(郷土神谷村史)。同22年十六村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436735 |