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糒村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。田川郡のうち。小倉藩領。糒手永に属す。村高は,「正保国絵図」750石余,「元禄国絵図」795石余,「天保郷帳」1,129石余,「旧高旧領」1,194石余。元和8年の家数154・人数229(男126・女103),牛18・馬15(人畜改帳)。宝永7年の田川郡村々万覚書によれば,本高1,025石余・物成749石余,本免5ツ8分,反別は田56町余・畠38町余,竈数53・人数444,牛馬45(田川市史)。嘉永5年の家数134・人数560,牛62・馬3(同前)。享保飢饉の餓死者は79人(開善寺過去帳)。寺社は,真宗正法寺,寛永9年開基と伝える禅宗宝光寺,鎮守の日吉神社。また,糒倉と称される藩倉があり,郡内の年貢米を収納し,川船で彦山川を下して小倉まで運んだ。明治初期の戸数162・人口732(男383・女349),牛94,産物は米1,906石・麦400石・鮎300斤・櫨1万5,000斤・生蝋3,000斤・石炭50万斤,ほかに清酒・焼酎など,反別は田105町・畑29町・宅地8町・山76町(豊前村誌)。明治22年金川村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7443132