有田町(近代)

明治22年~現在の西松浦郡の自治体名。有田皿山に町制を施行して成立。東は山内【やまうち】町に,北と西は西有田町に,南は長崎県波佐見町に接する。面積26.74km[sup]2[/sup],うち山地74.13%・平地25.87%。明治31年国鉄上有田駅が営業開始。同36年県立有田工業学校開校。大正5年上有田駅の乗客人員は乗車4万7,966人・降車4万7,783人,貨物は発送4,284t・到着7,071t。同9年の職業別戸数は農業3戸・工業573戸・商業309戸・その他169戸・無職21戸,人口は男3,006人・女3,194人。同10年には馬車荷積用3・荷積車94・人力車5・自転車108があった。寺院は浄土真宗本願寺派西光寺・臨済宗南禅寺派桂雲寺・曹洞宗報恩寺・日蓮宗法元寺。神社は明暦2年の創建と伝える陶山神社と仲哀天皇以前の創建と伝える八坂神社がある。ともに明治5年村社となる。氏子は両社に共通し,大正15年の戸数1,268(県神社誌要)。町内を旧来の地名により泉山・中樽・上幸平【かみこうひら】・大樽・本幸平【ほんこうびら】・白川・稗古場・赤絵町・中ノ原【なかのはら】・岩谷川内【いわやかわち】の10区に分けた。大正15年泉山弁財天社境内にある大公孫樹は国天然記念物に指定された。古窯跡に,楠木谷,枳藪,年木谷1・2・3号,小樽1・2号,山小屋,舞々谷,中樽,前登,西登,大樽,白焼,谷,天狗谷,中白川,下白川,稗古場,天神山,天神町,猿川,長吉谷の登窯跡があり,天狗谷古窯跡は昭和48年県史跡に指定された。昭和5年の戸数1,331・人口6,426。同23年豪雨により死者24・重傷7・軽傷54,家屋の流失は住家26・工場その他26,倒壊は住家25・工場その他25,浸水は床上365・床下559の被害を受けた。同29年東有田町と合併。合併直前の有田町の面積8km[sup]2[/sup]・人口約8,250,東有田町の面積15.52km[sup]2[/sup]・人口約6,300。両町合併により従来の有田町域を大字有田,東有田町の地域を大字中部とする。同31年西有田村大字曲川のうち上南川良山・下南川良山・南川良原・青木の各地区を編入し,大字西部とする。同42年の豪雨により死者9・重傷13・軽傷22,住宅の全壊30・流失3・半壊39,床上浸水188・床下浸水1,173,非住宅の全壊5・半壊9の被害を受けた。伝統をもつ有田窯業の陶磁器産業は,県内の在来工業のなかでも特異な存在であり,同51年色鍋島今右衛門技術保存会の管理する色鍋島と柿右衛門製陶技術保存会の管理する柿右衛門(濁手)が国重要無形文化財に指定された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7444331 |