100辞書・辞典一括検索

JLogos

30

石志村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。松浦郡のうち。はじめ唐津【からつ】藩領,慶安元年幕府領,同2年からは唐津藩領。徳須恵組に属す。元和検地時は古川八右衛門ほか8名の知行地があった(東松浦郡史)。「慶長国絵図」には「石志村 山本ノ内」と見える。村高は,元和検地高812石余(唐津市史),「正保国絵図」では555石余,「天保郷帳」では854石余,「旧高旧領」では857石余。文化年間頃の田畑高835石余(古高555石余),畝数43町余,年貢率は4割5分5厘,家数71・人数283(男158・女125),馬38,氏神祇宮の祭礼は10月20日(松浦拾風土記)。祇宮とは八坂神社のことであろう。ほかに神社は大門神社・跡打神社・天神社・大神社などがある。庄屋田代氏は藩の紙方庄屋も兼ね,また文化年間に唐津藩領の一部が幕府領へ上知されたことに反対して文政元年庄屋代表として江戸へ出訴した。紙方役所記録など多数の文書を残す。用水は山麓部に浦谷溜池ほか3か所の溜池をつくり平坦部へ流す。明治4年唐津県・伊万里県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では,ともに山本村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,戸数78・人口397。「東松浦郡村誌」によれば,地租改正による畝数84町余,戸数81・人口387(男187・女200),物産は米・麦・白保紙・半紙。明治11年東松浦郡に属し,同22年鬼塚村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7444378