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久留間村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。佐賀郡のうち。小城【おぎ】藩領。佐保川島郷に属す。「大小配分石高帳」では倉永庄兵衛が地米高15石余を知行する。「天明郷村帳」では,ともに小村にひゑ町・六道古賀があり,一部に宗智寺領・倉永五右衛門給地がある。「文化郷村帳」では小村にひゑ町・六道古賀があり,宗智寺領を含むとある。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」では492石余,「天保郷帳」では532石余。「旧高旧領」では旧小城県に属する分として874石余,旧佐賀県に属する分として156石余と2つに分かれて記載されている。鎮守は天満宮(菅原道真)。寺院には曹洞宗永喜山蔵福寺(薬師如来)があり,境内には享保飢饉の際の「餓死諸亡霊塔」,六地蔵がある(大和町史)。橋本嘉宣氏所蔵の「真乱流兵法序」は柔術の典儀を伝える秘伝で,小城藩柔術指南であった先祖のものという。「中央さん」「荒神さん」の祭りには盲僧が「琵琶」を持って祈祷や祓に来た。行事には土竜打ち(1月14日)・百万遍(7月25日~8月27日)がある。明治4年小城県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では吉富村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば当村は久留間本村分(40戸・175人),吉富分(25戸・127人),下村分(25戸・124人),江熊野分(65戸・278人),今古賀分(18戸・62人),今山分(64戸・268人),横馬場分(54戸・233人)に分かれており,合計戸数291・人口1,267。明治8年久留間小学校創設,同16年池上小学校と合併し池久小学校となる。明治22年川上村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7445211