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塩鶴村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。松浦郡のうち。はじめ唐津【からつ】藩領,慶安元年幕府領,同2年からは唐津藩領。赤木組に属す。村高は,元和検地では262石余,元禄4年の「郷村高帳」では289石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では278石余。元和年間には中川才右衛門(200石)・尾藤惣左衛門(62石余)の知行地であった(東松浦郡史)。文化年間頃の田畑高260石余,古高287石余,畝数13町余,年貢率は5割4分5厘,家数32・人数131(男72・女59),馬5・牛22,氏神十二社権現の祭礼は9月9日(松浦拾風土記)。明治4年唐津県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では,ともに赤木村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,1村として見え,戸数25・人口120。明治3年の庄屋は長谷川対蔵,村高は278石余,年貢米497俵,家数29であった。同11年東松浦郡に属し,同22年打上村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7445429