藤津郡

当郡は佐賀藩領で,寛永16年支藩の蓮池藩,同17年同じく鹿島藩が成立すると,それらの所領が混在するようになった。「慶長国絵図」では田方1,850町余・畑方741町余,高2万7,773石余,物成1万7,325石余,ほかに小物成565石余。「寛文朱印留」では79か村・高3万750石余。「元禄国絵図」でも高3万750石余。「宝暦郷村帳」によれば,七浦郷・能古見郷・鹿島郷・塩田郷・嬉野郷・吉田郷の6郷に分かれ,村数106・小村数81・寺数118(天台宗1・曹洞宗18・浄土宗30・一向宗30・真言宗9・臨済宗28・法華宗2)。「天保郷帳」では79か村・高3万5,750石余。「旧高旧領」では42か村・高3万3,033石余,うち佐賀本藩領は18か村・8,782石余,蓮池藩領は13か村・539石余,鹿島藩領11か村・1万3,711石余となっていた。本藩と蓮池【はすのいけ】藩とは1か村を分割していたところが多かった。人口は,貞享4年の郷村帳では3万5,506人(男2万1,355人・女1万4,151人),泰国院様御年譜地取によれば,天明6年には2万8,356人(男1万5,313人・女1万3,043人)。地方行政をつかさどった郡代は原則的には郡ごとに1人ずつ置かれたが,当郡は東西に分けられ,東部の郡代は鹿島藩,西部の郡代は蓮池藩が家役として任ぜられた。嬉野は温泉として有名で,嬉野温泉についてはオランダ商館の医師シーボルトが「江戸参府紀行」において文化9年の様子を詳細に記録している。また,温泉だけでなく,当地方の火山地としての地形などについても詳しい観察をしている。明治4年佐賀県・鹿島県・蓮池県,同年伊万里県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。明治4・5年の大区小区制では,当郡は第38大区から第41大区までに配され,明治8年には第7大区としてまとめられた。明治9年には三潴県の第21大区となり,のち同年8月21日,長崎県の第36大区に編成された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7446577 |