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湊村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。松浦郡のうち。はじめ唐津【からつ】藩領,慶安元年幕府領,同2年からは唐津藩領。佐志組に属す。村高は,「慶長国絵図」では3,213石余,元和検地高1,567石余うち新田7石余(唐津市史),「正保国絵図」では1,452石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに1,589石余。文化年間頃の東分の田畑高792石余(古高733石余),畝数29町余,年貢率は5割3分3厘,家数102・人数406(男211・女195),馬20,牛18,天当2,氏神祇園牛頭天王の祭礼は6月29日。西分の田畑高776石余(古高710石余),畝数29町余,年貢率5割3分8厘,家数162・人数602(男326・女276),馬19,牛35,諸網3,穀船1,日高夫1,488日,氏神・祭礼は東分と同じ(松浦拾風土記)。寛政5年の記録によれば,浜の船数89艘,うち漁船85・網船4,羽差43人(唐津市史)。唐津藩では,漁場に対する年貢(海石)は課さなかったが,漁具・船・釣人に対して運上を課した。漁獲物に対しても,参歩一,五歩一,拾歩一などの運上を課し,その処分についても制限を加え,漁師の手による直接販売を禁じた。他領へ売る場合は,特別に許可証(免札)を発行し運上を課した。鯣・干鮑・煎海鼠は外国貿易品として藩の統制下に置かれた(唐津市史)。明和8年に起きた虹の松原一揆には,漁民たちも独自の要求をかかげて参加している。神社は,八坂神社のほか八天神社・雲透神社・立神神社・金刀平神社・恵美須神社がある。如意山潮音寺観音堂の観世音菩薩は,平重盛の願いで西国に送られた仏像が,その途上海中に没し,それを万吾・万六の漁師兄弟が引きあげ小堂を建て安置したものという(松浦拾風土記)。ほかに寺院は,臨済宗南禅寺派の霊験山延福寺,同派吉祥山妙喜庵。明治4年唐津県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに枝村に神集島【かしわじま】がある。「郷村区別帳」では反別139町余。「明治11年戸口帳」によれば,戸数342・人口1,509。「東松浦郡村誌」によれば,戸数358(農業210・漁業115・その他33)・人口1,537。地租改正による反別田82町余・畑129町余,漁船200(50石未満),物産は,米・麦・大豆・小豆・唐豆・甘藷・楮皮の農産物のほか干魦・鯣・鯛・干鮑・干鰯など。明治11年東松浦郡に属し,同22年湊村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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