100辞書・辞典一括検索

JLogos

34

安楽寺村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。玉名郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」2,231石余,「正保郷帳」も同高でうち田1,688石余・畠542石余,「天保郷帳」2,278石余。「旧高旧領」1,165石余。津留村・下村を分村。一時期生見村を分村していたという(郡村誌)。天正検地の写とみられる慶長9年9月付の検地帳(県立図書館蔵文書)では,田133町8反余,畠・屋敷87町4反余,分米2,231石余。同13年の検地帳(同前)は安楽寺上村・安楽寺下村・安楽寺出分津留村が分冊となっている。「肥後国誌」では内田手永に属し,高1,132石余,「里俗上村ト云」とあり,小村に舟島村・生見村・染山村・野添村・蓑田村・深浦村が見え,安楽寺跡は津留村天満宮の社地で,昔は社僧が同所にいたと記す。同書は当村のうちとして下村・津留村を別記する。文化9年の内田手永風土記(多田隈文書)によれば,田57町4反余・畑31町6反余,竈数194・人数713。生見村は,同書に「この村往還筋にて村方打散,手広所柄にて……大川筋畑方悉く水に入り,田方皆無之畝方も出来……跡作菜麦を作,薪不便利……農業一篇之所柄にて」とある。安楽寺跡は字随月と推定されるほか,随岸寺跡が字岩屋にあって不動を,長福寺跡が字深浦にあって観音を,朝日寺跡が字生見にあって観音を祀る。さらに「国郡一統志」には来迎寺・宝成寺・吉祥寺・善応寺・浄福寺・賢長寺・普門寺・永徳寺や院若社などの寺社が見える。木葉連山の最高峰松カ平には五社大明神が享保5年広瀬五郎左衛門によって勧請された。字京塚の十王社は耳の神様といわれ,火吹竹が山のように供えられている(管内実態調査書)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田66町6反余・畑41町1反余,戸数182・人数883,牛17・馬92,物産は米・裸麦・粱・甘薯・蘿蔔・櫨実・楮皮・石灰・清酒など,民業は農業159戸・石工職7戸・質屋2戸・造酒職2戸・旅籠職1戸など。同18年下・安楽寺・津留・奥野の4小学校を統合して梅林小学校が字染山に設置され,奥野小学校は分教場となった。同22年梅林村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7449900