海氏村(近世)

江戸期の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野南部,加勢川下流右岸に位置する村名の海氏は海士【かいのし】・海人が変化したものかと思われるが,未詳村高は,「寛永郷帳」857石余,「正保郷帳」も同高でうち田810石余・畠47石余,「天保郷帳」878石余なお慶長12年の検地帳(県立図書館蔵文書)によれば,分米964石余,反別76町1反余うち田71町1反余・畑5町余,家数78・人数179「肥後国誌」では,銭塘【ぜんども】手永内に海氏村が記されるが,「里俗上海氏村ト云」と見え,ほかに下海氏村もある「旧高旧領」でも同様で,江戸末期までに上海氏村と下海氏村とに分かれた

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7450771 |