100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

川内田村(近世)


江戸期~明治7年の村名上益城【かみましき】郡のうち阿蘇外輪山南西麓の益城低山地南西部,緑川の支流八勢川と谷川に挟まれる村名は,両河川間に田地が開けることにちなむという熊本藩領もとは梅木村の支村という(郡村誌)村高は「旧高旧領」193石余「肥後国誌」によれば,「河内田村」と見え,木倉手永に属し,高187石余,小村に下鶴村があるまた文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高187石余,反別は田6町3反余・畑8町9反余,家数49・人数259,馬62・牛35(綾部家旧蔵文書)鎮守は菅原道真を祀る川内田神社かつて甲斐宗運が居城したという尾城があった(国郡一統志)明治初年頃の木倉手永手鑑(肥後国郷村明細帳2)によれば,竈数51,人数219,牛馬71熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年滝ノ尾村の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7451106