草場村(近世)

江戸期~明治7年の村名山本郡のうち岩野山の南東,小野川最上流域の平地に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」257石余,「正保郷帳」も同高でうち田178石余・畠78石余,「天保郷帳」262石余「旧高旧領」152石余小道村・仁連塔村はもと当村の一部というなお慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,反別29町2反余うち田15町2反余・畠14町余,分米257石余,名請人43筆同13年の検地帳(同前)では,反別56町8反余うち田23町4反余・畠32町3反余・屋敷1町1反余,分米487石余,家数39・人数56,牛馬12とある「肥後国誌」によれば正院手永に属し,高152石余文政9年の正院手永手鑑帳(肥後国郷村明細帳1)では,高150石余,反別は田6町3反余・畑9町7反余,堤1口などとある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年広住村の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7451331 |