杉島村(近世)

江戸期~明治22年の村名。下益城郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,000石余,「正保郷帳」も同高でうち田855石余・畠144石余,「天保郷帳」1,040石余,「旧高旧領」では1,121石余でほかに「上杉島村」として229石余。「肥後国誌」では杉島手永に属し,高744石余,「里俗下杉島村ト云」と見え,寺院は天台宗観音寺・曹洞宗観音寺・同宗円通寺。同書では当村のうちとして上杉島村を別記し,高552石余で,小村に小蘆があり,社寺は天神社・黄檗宗薬善寺。川尻外城は,肥後海軍の根拠地,米の集積地で,当地にも杉島御船手が置かれ,船頭・水夫が居住した(川尻町史)。また米倉跡があり,地名にも御船手(杉島北部)として残る。字北崎に,御船手の守護神を祀る七所宮がある。寛永年間頃の船数10,水夫数38,当地でとれる魚は「ほら・はだら・ひら・あけまき・かき」など(北岡文庫/村誌富合の里)。寛永10年当村に杉島手永会所を置く。寛政7年同会所内に御用籾蔵を建設。嘉永2年杉島村会所を上杉島村へ移す(村誌富合の里)。安政年間~明治初年の寺子屋の生徒数は31(同前)。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田65町1反余・畑27町1反余,戸数359・人数1,876,馬62,日本形船97うち50石未満荷船12・漁船85,字長江と字北寄に人民共立小学校があり,生徒数はそれぞれ男54・女16,男68・女31,物産は穀類のほか櫨実・絞油など,民業は農業89戸・造酒職1戸・絞油職2戸・質屋1戸・鍛冶職1戸・染物職3戸・大工職14戸・左官職3戸・石工職4戸など。同11年の生徒数は,杉島小学校78,杉南小学校75(明治11年学事年報/村誌富合の里)。同22年杉合村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7452332 |