川北(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ都農村,大正9年からは都農町の大字。明治24年の幅員は東西1里24町・南北2里18町,戸数862・人口4,742(男2,389・女2,353),厩710,学校3,水車場4,大船1・小船95(徴発物件一覧表)。詳細は不明だが,明治後期頃に大字都農は当大字に含まれるようになり,以後都農村,都農町は当大字のみとなる。明治40年の戸数1,150・人口6,493(男3,178・女3,315),世帯数・人口は大正10年1,370・9,126(男4,588・女4,538),昭和30年2,915・1万5,314(男7,467・女7,847),同50年3,475・1万2,675(男6,025・女6,650),同58年4,034・1万3,940(男6,603・女7,337)。大正10年6月国鉄日豊本線が高鍋~美々津間に開通し,当地に都農駅が開設された。昭和26年5月都農駅の改築が落成し,同27年8月には東都農駅が設置された。バス交通では,昭和25年4月宮崎交通バスが都農停留所を設置し,同40年5月に山手線が開通,同45年木和田線,同49年征矢原線が開通し,住民の生活に貢献した。昭和33年2月国道10号の市街地舗装工事が完成。同37年2月都農漁港に灯台が設置され,光度3,500カンデラで,距離20kmまで照射が可能になった。昭和40年代には企業誘致が図られ,昭和39年4月宮崎シャイン工業,同46年6月コーランニットの各工場が設立され,同50年7月には東洋ゴムタイヤテストコースが開設された。同年8月国鉄リニアモーターカー実験線開設の調印が行われ,同52年4月実験センター開所,同54年12月世界最高記録の時速517kmを樹立した。昭和47年県畜産公社の設立により豚・和牛・乳牛・ブロイラー・牛乳・鶏卵などの畜産生産が盛んになった。また果樹栽培に力を入れており,尾鈴ブドウ・都農ナシが特産品として有名である。都農浜で獲れる都農ウニも名が知られている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460022 |





