北方村(近代)

明治22年~昭和25年の南那珂郡の自治体名。北方・南方・秋山・串間の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。役場は北方に置かれた。明治24年の戸数669・人口3,567(男1,829・女1,738),厩463,寺院2,学校4,大船2・小船42(徴発物件一覧表)。同44年の戸数627・人口4,619。世帯数・人口は,大正9年784・4,320,昭和10年858・4,812,同25年1,162・6,482。明治23年北方字前田にあった北方簡易小学校は,明治18年に合併した塩屋原小学を再び分離し,北方字北方に移転,同25年北方尋常小学校となり,同40年には高等科が設けられ,尋常高等小学校となる。同41年女子工業補習学校が付設されたが,これは翌42年に廃止された。塩屋原小学は明治25年南方の金谷小学と合併して金谷尋常小学校となる。また秋山字下吐合にある秋山小学は明治23年秋山尋常小学校となり,同37年字山下に移転(郷土事物調査)。「県学事年報」によれば同41年の北方尋常高等小学校の学級数尋常科5・高等科1,児童数尋常科233(男112・女121)・高等科15(男10・女5),秋山尋常小学校の学級数2・児童数56(男30・女26),金谷尋常小学校の学級数2・児童数147(男75・女72)。のち北方尋常高等小学校は昭和16年第一北方国民学校,金谷尋常小学校は昭和8年第二北方尋常小学校,同16年第二北方国民学校,秋山尋常小学校は昭和8年第三北方尋常小学校,同16年第三北方国民学校となる。明治39年近世以来の村内の若者組を母体として秋山青年会創立,大正5年村内の各青年会を支部として北方村青年修養会を創立し,北方・金谷・秋山に各支部を置いた。会員数163(青年会/県古公文書)。また明治43年秋山婦人会創立,同44年には塩屋原3区連合青年会が主催して敬老会が創立。明治期には焼酎製造販売・瓦焼業・煉瓦焼業もわずかにみられた。飫肥~福島間の県道が明治21年着工,同24,5年に竣工(知事引継文書)。串間字池ノ上は県道開通に伴い明治25年頃から雑貨品店を中心に商店が並ぶようになった(郷土事物調査)。大正元年福島・北方両村水利組合が設立され,日本勧業銀行から低利資金9,812円余を8か年の年賦で借り入れ,桂原用水路(大島井堰)の修復をなし石井堰とした。同用水路は享保2年福島都合の職をつとめた家老隈江五郎左衛門が築いたもので,井堰の恩恵に最も浴した塩屋原の南方一帯の水田地帯を大島と称したので,大島井手と名付けられたが,また旧西方道路馬卸下坂にあったので通称馬卸井手ともいわれた(宮崎県福島郷土史)。のち,昭和7年に同井堰は排水改良工事着工,翌8年経費4万円をもって竣工,当時522町の田畑を潤していた(知事引継文書)。大正10年の民有有租地のうち田510町6反・畑331町1反・宅地38町2反・池沼2町2反・山林450町6反・原野199町2反(県統計書)。同13年の米作付反別545反,うち水稲510反・陸稲35反,収穫高9,650石うち水稲9,160石・陸稲492石,耕作地反別871反,うち自作地田167反・畑150反,小作地田334反・畑220反,農作業戸数のうち自作本業35・副業20,自作兼小作本業305・兼業80,小作本業182・副業75(県米作統計書)。また同14年の養蚕農家延戸数631,繭生産額5,522貫,うち上繭分4,784貫,桑畑36.5反(県繭統計書)。大正12年福島・北方・本城・都井・大束の5か村組合立の福島高等女学校が福島村西方に設立され,翌年南那珂郡16か町村組合立となり,昭和3年校舎新築,のち同19年県に移管され,福島高等女学校となる(宮崎県福島郷土史)。昭和10年の総生産額43万4,863円,うち農産30万4,041円・蚕糸1万1,297円・畜産1万5,378円・林産4万1,992円・水産1万2,681円・工産4万4,470円・鉱産5,004円,民有有租地のうち田562町4反・畑324町・宅地38町7反・池沼7反・山林565町・原野227町5反,耕地面積859町7反,うち田544町6反・畑315町1反(県統計書)。同年国鉄日南線日向北方駅が串間に開設された。昭和22年国民学校が廃され,北方小学校・金谷小学校・秋山小学校開校,また北方中学校が創立。昭和25年度の総生産額は福島町とともに4億676万円余,うち農産2億2,070万円余・養蚕58万円余・畜産862万円余・林産3,313万円余・水産1,497万円余・工産1億2,874万円余,同年の民有有租地のうち田564町1反・畑324町1反・宅地41町1反・池沼7反・山林543町7反・原野220町1反,総農家数748戸,うち専業農家413戸・兼業農家335戸,農用地総面積726町2反,うち田449町7反・畑232町2反・樹園地6町5反・その他37町8反(県統計年鑑)。昭和26年1月1日福島町の一部となり,村制時の4大字は同町の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460058 |