椎木(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ木城村,昭和48年からは木城町の大字。明治24年の幅員は東西30町・南北21町,戸数261・人口1,258(男619・女639),厩220,学校1,水車場3,小船5(徴発物件一覧表)。同31年の椎木小学校の児童数は142(男69・女73)。同32年椎木・高城の両小学校を合併し木城尋常小学校とした。大正3年山口弘康が発起して疎水を引き,110町歩を開田した。同4年電灯がつく。福祉事業の先駆者で孤児の父といわれる石井十次(高鍋町上江出身)は,明治42年に当地から現西都【さいと】市にまたがる茶臼原の地に岡山孤児院分院として茶臼原孤児院を設立し,生涯を通して約2,000人の孤児の救済に尽くした。大正3年,岡山県倉敷から海上運搬して当地に再建された静養館において49歳で病没した。十次の死後,その福祉事業は石井記念友愛社の手で現在まで継続され,当地には静養館の面影を残す楼上の鐘のある木造3階建ての友愛社記念館と石井資料館がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7460238 |





