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高原郷(近世)


 江戸期の郷名。諸県郡のうち。鹿児島藩直轄領。外城の1つで,大・中・小の3区分のうち中郷にあたる。所属の村は,はじめ麓・蒲牟田・後川内・前田・大牟田・縄瀬の6か村であったが,延宝9年前田・大牟田・縄瀬の3か村を高崎郷として分割し,他方小林郷のうち広原村と野尻郷のうち水流村の一部(下水流村)を編入し,当郷は麓・蒲牟田・後川内・広原・水流の5か村となった。なお,「島津家列朝制度」巻55(藩法集8下)には「高原・高崎は慶長之比は,相分り居候,其已後壱ケ所ニ成,近年又被相分候」とあり,高原郷の境域は高崎郷との関係で変動していることを示している。また,高崎郷を分割したことについては,延宝8年12月29日「御用人取次ニ而日州高原江被仰渡候ハ,高原之内高崎割候而外城ニ被仰付旨被仰渡候事」(年代記/三世御治世要覧)とあり,同9年「当春,高原割外城ニ而高崎被召立候ニ付,外城支配被仰付候所ニ紙屋之儀外城御引取ニ而野尻ニ被召付」として高原郷から高崎郷分立に伴い,紙屋郷が廃され,野尻郷に付けられ,「日州高原割外城ニ付,五月十七日……蒲牟田村・後川内村高原麓ニ相付,小林之内広原村ニ用夫廿人相添高原ニ附,野尻より衆中七人,同所之内水流村ニ用夫九十三人相添高原附,高原之内前田村・大牟田村・縄瀬村三ケ村ニ而高崎一外城ニ相立候,高原・高崎境引,山奉行林休兵衛,高原・高崎噯,小林より行司横目立会,高原衆中屋敷百三十九ケ所,高崎九十三ケ所ニ而候」とある。所属村のうち,麓村は古くは高原村と呼んだといわれ,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」や元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」など幕府へ提出した郷帳類には高原村と見え,「薩藩政要録」や「島津家列朝制度」など鹿児島藩領内の行政的な史料には麓村と見える。麓村は,のち明治18年隣接する野尻郷に同名村があるため西麓村と改称する。後川内村は古くは入来村と称したといい,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」には入来村とあり,元禄11年「日向国覚書」と「天保郷帳」には入木村と見える。幕府への公的な届では入来(木)村と称していたのであろう。水流村はもと野尻郷に属していたというが詳細は不明で,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」では庄内郷のうちとされ,当郷に編入しなかった水流村の一部(上水流村)は江戸中後期にも庄内郷に所属する村である。当郷に編入された水流村の一部(下水流村)は,当郷にとっては飛地で,「但飛地,高原より相隔候事凡四里半」とある。この村がなぜ当郷に入ったかは不明である。地頭仮屋は麓村に置かれた。現在の遍照寺の地である。「高原所系図」「日向国史」下および「西諸県郡誌」によれば,知られる範囲での歴代の地頭は,天文14年稲津豊前,天正3年鎌田刑部,同5年上原長門守,同9年吉田若狭,同11年山田理庵,同14年新納旅庵,同18年山田理庵,慶長2年入来院又六,同7年島津大膳(「西諸県郡誌」では大膳亮),寛永9年村田九郎左衛門,同15年鎌田源兵衛(同郡誌では源左衛門),正保3年猿渡大炊介,承応2年相良主税,明暦3年相良吉佐衛門,寛文6年喜入休右衛門,同9年山田民部,貞享元年若松彦蔵(同郡誌では若狭彦兵衛),同3年種子島次郎右衛門,同5年喜入休右衛門,元禄9年樺山権左衛門,宝永2年清水弥兵衛(同郡誌では元禄12年とあり,また清水孫兵衛とある),享保2年左近允与太夫,同6年市来勘左衛門,同15年伊集院仁左衛門,宝暦5年畠山数馬,明和元年伊集院伊膳,同6年石黒戸後右衛門,同8年種子島次郎右衛門,安永4年樺山物集女,文化元年日高次右衛門(同郡誌では次左衛門とある),同8年平島平八,同9年義岡久馬,文政8年島津典礼,安政元年福崎助八,同5年島津矢柄,慶応3年谷川十郎。宝暦2年の当郷の石高は4,326石余(日向国史下)。寛永16年究と注記される諸郷士給地高は659石余,うち28石余が寺家,衆中は232人,うち知行取132人(30石以上は5人)・一ケ所取98人・寺家2人(島津家列朝制度/藩法集8下)。「薩藩政要録」によれば,地頭は島津典礼,郷士惣人数503,郷士人躰数173,所惣高5,740石余,郷士高1,495石余(うち寺高309石余),村数は5か村(水流村・広原村・蒲牟田村・後川内村・麓村),用夫数571・野町用夫数10。「三州御治世要覧」の「御分国」の項では高原郷5か村,衆中高1,045石余,人躰1,061人,士惣人数458,高頭(百姓高)4,326石とする。天保7年の調べでは,総石高4,326石余,士161家,在家285家。「要用集」では,地頭は島津相馬,郷士惣人数499,郷士人躰数175,所惣高5,688石余,郷士高1,398石余(うち寺高168石余),用夫数622・野町用夫数10。門数は麓村の7,蒲牟田村13,後川内村17,広原村23をかぞえる(西諸県郡誌)。近世における高原郷に関する記録の中で注目される記事を以下紹介しておくと,寛永8年「今年,御下国以後一向宗御改,日州高原其外所々有之ニ付,衆中ハ知行皆々被召揚,百姓ハ料物被仰付候事」,同10年「一向宗御沙汰有之,高原衆中一向宗,和行,屋敷被召揚候」,明暦3年「日州高原御支配田地御竿入噯郡見廻ニ被仰付相勤也」,寛文5年「八月,日州高原神徳院東叡山直末寺ニ成,神徳院ハ開山性空上人以来十八世迄天台別院,当年法派御極ニ付,無是非末寺ニ成也」などの記事が見える。なかでも享保元年からおこった霧島山の大噴火は当郷に大災害をもたらし,享保元年「八月十一日,霧島山大燃,朝七ツ半より五ツ比迄硫磺瀬泥ニ而,高原・狭野原・蒲牟田・櫟原壱尺余降埋候」「九月廿六日,霧島山大燃,世人神火と申候……花堂噯所へ勤居候飛脚番,大石ニ当打殺,昼七ツ時分六時頃迄,同夜九ツ時分より七ツ時比迄大神火,高原在光坊社頭并米蔵・材木蔵門前惣様焼失,小池より門前之間大石弐尺程埋,狭野神徳院社頭より坊門前四五ケ所焼失……花堂町祓川不残焼払,高原衆中百姓方々江立除也。庄内山之口書留ニ,比時降埋候砂石例見ルニ,地壱歩ニ砂石共ニ六斗四舛降候ト云々」「十二月廿八日,霧島大神火,高原花堂衆中不残焼失」,享保2年「正月元日雪,同三日霧島大燃,高原之内入来名・石ケ野名・川平名過半焼,高崎麓家十四五ケ所焼失」「正月七日……今度砂降候外城,高原,高崎,野尻之内,高城,山之口,都城之内」などと記される。この災害の見分によれば,「高原・高崎衆中皆共ニ岸有之所ハ穴を拵,岸無之所ハ庭を掘,大竹を以塩屋之様ニ拵……就中高原之内ニ而茂花堂之在所一宇茂不残焼払,大木立なから枝を打落シ,怪俄人余多,牛馬之怪俄数々,野山共ニ無青色,牛馬之飼料茂近外城より入付候,絶言語候事之由被申候」とあり,その被害は「当酉正月十一日改,一砂入之外城拾弐ケ所,一焼失家六百四軒,一怪俄人三十三人,一死牛馬四百五疋,一田畠六千弐百四十町八反六畦拾九歩,高ニシテ六万六千百八十二石余損地ニ成ト云々,硫磺湧出,花堂川より日向赤江川迄流出,川底ニ住居候川魚虫之類惣様死」と述べている。以後「閏七月三日夜より風雨,同八日迄昼夜無断絶雨降り,高原・高崎・高岡・野尻大洪水ニテ燃石流出,死人等過分ニ有之候由ニ候」と享保6年の雨による土砂流を伝えている(年代記/三州御治世要覧)。文化9年5月晦日から6月朔日にかけて,伊能忠敬が蒲牟田村祓川~狭野,高原村(麓村)花堂~鹿児山を測量している。「三国名勝図会」には,神社として蒲牟田村の狭野大権現社・霧島東御在所両所権現社(ともに霧島権現六社の1つ),入来村の霞権現社,高原村の鎮守大権現社,水流村の諏方大明神社,寺院として蒲牟田村の天台宗霧島山仏華林寺神徳院・真言宗霧島山華林寺東光坊錫杖院・天台宗威徳院・同宗坂本寺・真言宗高原寺,高原村の曹洞宗高原山法蓮寺・真言宗地蔵院,水流村の天台宗極楽寺,後川内村の高麗観音堂,旧跡として葺不合尊および神武天皇皇居,高千穂宮,神武天皇降誕地,皇子河原,松ケ城(高原城)などを記し,また物産は薬品類として柴胡・紫根・白朮・金銀花・人参・茯苓・枳宝,蔬菜類として香蕈・丁蕈・岩蕈・川蕈・木耳・蕨薇・葛粉,花卉類として献歳菊・映山紅,樹木類として杉・樟・・椎・櫧・甜櫧・蚊母樹,飛禽類として鶉・雉・山鶏・鸂瀬,走獣類として鹿・野猪・狼・猿・獺,鱗介類として香魚・鰷・鯰・鯉・・斑魚・鰻鱺・鼈をあげる。明治3年高崎郷が当郷に合併して高崎郷の4か村(前田村・大牟田村・縄瀬村・朝倉村)が加わり,また高城郷の東霧島村も当郷に入った。同4年の「薩隅日地理纂考」によれば,当郷は鹿児島より18里,東は上三俣・野尻の両郷,南は荘内郷,北西は小林郷に接し,周囲19里余,村落9(麓村・広原村・蒲牟田村・後川内村・前田村・大牟田村・縄瀬村・東霧島村・朝倉村),高7,938石余,人口4,811(うち士族2,313),戸数831,物産は薬品として柴胡・白朮,飛禽として雉・山雞・鴨・鴛鴦,走獣として野猪・鹿・猿。明治4年11月高崎郷域も含めて当郷は都城県第5大区となる。なお,このとき高原郷の飛地であった水流村は都城県第3大区に属することになり,明治6年宮崎県の発足とともに第10大区3小区に属した。明治6年5月宮崎県の発足とともに,第5大区は宮崎県第12大区1小区とよばれるようになり,さらに同年11月には第14大区1小区と改称している。明治9年8月宮崎県が鹿児島県に併合されると,鹿児島県107大区1小区となった。同16年5月宮崎県が再置され,また同年北諸県郡に属し,同17年北諸県郡が東・西・北の3諸県郡に分割され,当地は西諸県郡に属す。明治22年市制町村制施行により,当郷のうち西麓・蒲牟田・後川内・広原の4か村は合併して高原村に,水流村は志和池村に,前田(朝倉村を含む)・縄瀬・大牟田の旧高崎郷3か村と旧高城郷東霧島村は高崎村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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