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郡村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。薩摩国日置【ひおき】郡伊集院郷のうち。村高は天明8年1,047石余(由緒再撰調),「天保郷帳」では1,137石余,「旧高旧領」では975石余。天保期の門数22(伊集院郷土史)。「県地誌」によると戸数117,うち士族20・平民95・社2,人口661,うち士族118・平民543,商業2戸・工業3戸,他は農業で,牛51・馬75,米460石余・粟58石余・麦48石余・甘藷5万8,800斤・茶450斤を産する。村の西南端にある熊野神社は広済寺の鎮守社であったという。村の中央にある鎮守社九玉神社は伊集院五社の1つで,祭神は猿田彦神,明暦4年改修の棟札がある(伊集院由緒記)。同社には江戸中期から伝わる棒踊が奉納される。公立小学校が村の中央にあり,生徒数男50(県地誌)。後に簡易小学校となり明治33年廃止,伊集院尋常小学校に吸収された。「県地誌」によると里道1等に属す吉田往還が村の西徳重村境から東北麦生田村境に至る。この間長さおよそ19町,支道の1つは字中園から北に折れて桑畑村に通じ,1つは字草水から北に折れて下神殿村へ,1つは字梅落より東に折れて土橋村に通じている。明治22年,中伊集院村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7462005